大阪会議とは
維新の元勲たちが1875年(明治8)に大阪に集まって立憲政体の樹立を約した会議。
征韓論の紛議や、征台の役に反対して、多くの参議が辞職。「大久保利通」を中心とする政府は、孤立無援の状態になった。
そこで「井上馨」「五代友厚」の周旋により、同年1月に大久保利通・木戸孝允・板垣退助・伊藤博文らが、大阪に会し2月に至って、政治改革についての合意をみた。
その内容は元老院・大審院・地方官会議を設け、内閣と各省を分離し元勲は内閣にあって輔弼に任じ、第二流の人物によって行政の責にあたらせるというものであった。
この会議の結果、板垣と木戸が参議に復帰し、4月14日に政体改革に関する大詔が発せられ、漸次立憲政体へ移行することが国是となった。
この会議の成功を祝って「木戸孝允」より贈られた屋号が「花外楼」であり、以来政界や官界の大立物が、続々と出入りされることとなった。
明治8年、日本の政治の行方を決める重要な会議、俗にいう「大阪会議」がこの北浜にある「花外楼」で開催されました。
初代 花外楼
二代目 花外楼
三代目 花外楼